7月22日(日)午後3時から杉ちゃんが準備してあった梅干し132樽と小分けした梅干し3ケースの約1tをフォークリフトで熊野鬼城太鼓号に積み込み、午後5時出発・・・・が、出発後約10分にして荷台内に積み上げた梅干し樽が荷崩れをおこしていることが判明!!
どいらいメンバーにレスキューを要請。すぐに数名が駆けつけてくれて、梅干し樽を丁寧に一度下ろして、再度積み直し・・・(みんなお騒がせしてスンマセン、)、今度こそという事で、午後6時熊野出発。
途中、御在所サービスエリアで、今回支援物資として杉ちゃんの梅干しをお届けする事を段取りして頂き、自らも被災地でボランティアセンターを立ち上げられる鈴鹿市の特定非営利活動法人(NPO法人)「災害ボランティアネットワーク鈴鹿」の南部美智代理事長ら一行3名と合流し、新潟へ。
新潟までの高速料金は、熊野のNPO法人まちづくりセンター「THEくまの」の中村さんが「震災支援物資搬送車」の通行許可証を熊野市に申請してもらってくれていたので「無料」で通行することができました。
今回杉ちゃんが梅干しを支援物資としてお届けするに至った経緯等については、中日新聞さんの記事、毎日新聞さん、読売新聞さんのネット記事に紹介されました。(実はわたくしめもよく知らずにトラック野郎を名乗り出たのでした)
1tの荷物を積んでアップダウンの多い中央道経由での新潟行きは、ご老体鬼城太鼓号にはかなり酷な旅で、予想以上の時間を要し、行きしの所要時間は12時間。
新潟着後は現地での受け入れをお世話頂いた中越防災フロンティアの鈴木さんに案内して頂き、刈羽地区にあるボランティアセンターに無事梅干しを届ける事ができました。
ボランティアセンターで、3年前の地震で大きな被害が出た山古志村から鈴木さんと共に駆けつけられたボランティアの皆さん(今回の地震では山古志村は特に被害が無かったとの事で、大きな被害が出た刈羽地区にボランティアに入られたとの事。 まさに助け合いの精神に大きな感銘を受けました。)に手伝って頂いて、樽の梅干しを小分けし、とりあえず小分けできた梅干しをセンター隣の体育館の避難所におられる皆さんに手渡しさせて頂きました。
避難所には若い子供さん連れのご夫婦やお爺ちゃん、お婆ちゃんがおられて、南部先生と杉ちゃんでお声かけしながら、梅干しを配らせて頂きました。
杉ちゃんのブログでもご報告していますが、とても怖い思いをした当時の状況を顔を震わせながら、熱心に語られるお婆ちゃんの表情がとても印象的でした。どのようにお声かけし、励ませば良いのかわからない我々に比べ、各地で災害ボランティアに携わって来られた南部先生は年齢的な事もあるのでしょうが、お年寄りの気持ちを上手に引き出し、そして元気を上手に引き出し、励まされている姿に「さすが」と感心しました。
あるおばあちゃんから3年前の地震で家が被害を受け、修理してやっとちゃんと住めるようになったばかりの家が、また大きな被害を受けたとの話を伺い、自分なら立ち直れないな・・・などと思いながら話を聞いていましたが、怪我が無くて良かった、命あってのものだねだと、語るお婆ちゃんに、重ねてきた年輪、生きるたくましさを心底感じました。
そして、杉ちゃんの梅干しはというと・・・お届けしたこちらがビックリするくらい、皆さん本当に喜んで下さいました。
ちょうど今朝、梅干し食べたいねと話していた所だと言って喜んでくれる女性や、昼間は避難所から仕事に行ってる息子が梅干し大好きなんだと、話してくれるお婆ちゃんなど、南部先生がこれからの時期、梅干しが本当に必要とされると判断された通り、そろそろ疲れが溜まり、また食中毒が心配されるこれからの季節、梅干しのお届けはとてもタイムリーだった事を実感しました。
鬼城太鼓号での陸送に予想以上に正直バテバテだった二人。皆さんのたくましい姿、満面の笑みで梅干しを喜んでくれたおばあちゃんの姿に、疲れも吹っ飛び、気合いを入れ直して、帰路に着きました。
帰りは荷台も軽くなった分、少し早く走ることができ、13時現地出発 → 午前零時ジャスト 無事御浜に帰り着くことができました。
自分がまさに手塩にかけて作った梅干し1tを支援物資として寄贈することを決めた梅干しの杉ちゃん、元気一杯ボランティア活動を勢力的に展開されている南部先生や鈴木さん、段取りをして頂いたTHEくまのの皆さん、災害支援に向かう前に荷崩れを起した我々を救助に駆けつけてくれたどいらいの面々。皆様に敬意を表し、トラック野郎として今回の遠征に参加できた事を感謝し、まとまりの無い報告を終わります。
(レポート 梅酒の山ちゃん)
|